被害者が関わる場合、それは個人的な自由の選択ではありません。例えば、人を殺したりレイプしたりすることは個人の自由な選択だと言う場合、だからと言ってそれらが良いわけではありませんよね。どのような状況において、被害者の苦痛よりも加害者の傷つけたいという願望が優先されるでしょうか?
自分の味覚を満たす楽しみは、誰かを傷つけることを正当化できますか?強姦者は楽しむために強姦する、それは良いことと言えますか?もし私が快楽のために犬を蹴り始めたら、あなたはどうしますか?あなたの1分程の美味しいと感じる快楽は、動物たちが経験しなければならないことよりも価値があると思いますか?動物たちの一生は、あなたの意思で選択できることです。
ライオンはお互いの赤ちゃんを殺したりレイプしたりします。あなたは本当に自然界で起こっていることに基づいて私たちの道徳を定めるべきだと思いますか?私たちには選択肢があり、ライオンたちにはありません。ライオンたちはサバイバル環境下におり、肉食動物です。あなたはしなくても良いのに、なぜ必要のない苦しみを引き起こすのでしょうか。
動物を強制的に繁殖させ、飼育し、屠殺する行為は食物連鎖とは似ても似つきません。工場農業が自然の一部ではないのと同じように、私たちはもはや自然の食物連鎖の一部ではありません。私たちは、残酷でまったく不必要な行為を都合よく正当化し、まだ自然の食物連鎖の一部であるふりをしたいだけです。
ヴィーガンライフスタイルをしている私たちや、オリンピックでメダルを獲得した選手、芸能人、文化人など様々な人の存在が肉を食べるという事が必要ではないことを証明しています。また、米国栄養士協会も英国栄養士協会も、野菜中心であるプラントベースの食事は栄養価が高く安全で、妊婦を含むすべての年齢層に適していると述べています。
かつて、奴隷制度は私たちの文化の一部でした。世界の一部の地域では、女性性器切除が今でも伝統的に行われています。スペインでは闘牛が、日本ではイルカ漁が、中国と韓国では犬肉祭りが行われています。これらは伝統だから正当化されると思いますか?
それは真実です。もし私たちの祖先が殺人やレイプをしていなかったら、私たちの多くはここにはいなかったでしょう。しかし、私たちが何かを長い間行ってきたから、または過去に行われたからといって、必ずしも同じことを今も行うことが正しいという意味ではありません。もし私たちがその論理を受け入れるなら、現代の奴隷制度さえも許されることになるでしょう。
一部の宗教では動物を食べてもよいとしていますが、実際に食べなければならないとは言っていません。ほとんどの宗教は、すべての生命は神聖であり、不必要な苦しみを最小限に抑えるべきだと教えています。宗教書のほとんどは、人々が生き残るために動物を殺さなければならないこともあった時代に書かれていますが、預言者は今のこの世界をどう見ているでしょうか。誰もが動物を苦しめない選択ができるにも関わらず、たった5分間の快楽のために動物を生涯にわたり閉じ込め、殺す行為を神様は本当に望んでいるのでしょうか?
すべての人が一夜にしてヴィーガンになるわけではありません。需要が徐々に減少するにつれて、飼育される動物の数も徐々に減少します。また、これらの動物はどれもかつて存在しなかったはずです。家畜動物は、より速く成長し、必要以上に多くの牛乳や卵、羊毛を生産するように特別に品種改良されています。彼らの存在は苦しみの一つであり、野生で生き残ることは難しいでしょう。一方、野生動物は、膨大な土地と資源を必要とする畜産業のせいで数百頭が絶滅しています。
まず第一に、これらの暴力的な行為のほとんどはあなたや私に直接的に影響力がないものですが、全ての人が動物製品を購入することで毎日動物搾取に資金を提供していることになります。そして、人間の苦しみを優先したとしても、農地のほとんどが家畜の餌の栽培に使用されており、それが地球温暖化やさらには世界の飢餓の主な原因の1つとなっていたり、また大きなパンデミックは畜産業から発生しています。
確かに作物を栽培する農場でも動物が亡くなりますが、その数は大幅に減少します。 1頭の動物を数年間養うのに必要な作物の量は、最終的に収穫できる食料の量よりもはるかに多いため、肉を食べることでさらに多くの動物を殺すことになります。また、作物を栽培する際の事故による死亡と、農場や屠殺場で動物に対して行う暴力は道徳的に同等ではありません。
植物には中枢神経系も痛覚受容体も脳もありません。人間や動物が痛みを感じるのは、自分の危険を知らせてその状況から逃げるためだと考えられていますが、植物は動けないので痛みから逃れることができません。アマゾン熱帯雨林の破壊の約91%は畜産業が原因です。植物が痛みを感じることができると本当に信じているなら、動物性食品を摂取することでさらに多くの植物を傷つけることになるでしょう。
人間も動物です。家畜動物たちはそれほど知的ではないかもしれませんが、私たちと同じように感じ、苦しんでいます。赤ちゃんを取り上げられた牛は何日も泣き悲しみますし、犬などの動物は人間の仲間が離れると不安を感じることが知られています。牛も犬も同じですが、豚はさらに賢いのです。家畜動物たちもみな平等に生きるに値するのです。
誰かの価値を知性で判断するなら、あなたは学習障害のある人よりも生きる価値があると言えるでしょうか? そしたら、豚よりも知能が低い犬を家畜にするべきではないでしょうか? あなたの命を奪うことがいけないのは、あなたは自分の命が自分にとって大切だからなのです。動物が自分の命を大切にするのと同じように、私たちは知性に基づいて勝手に線引きすることはできません。
もし私が子供を搾取する目的で産んだらどう思いますか? 自分が生み出したというだけで、子供に何をしてもいいのでしょうか? 奴隷制度がまだ合法だった頃、私たちはまさにこの目的で人々を育てていました。奴隷制度が終わったのは、そのような人々があなたや私と同じ人間であり、同じように抑圧や苦しみのない人生を送ることに値するということに気づいたからです。
これは、水責め拷問をされている囚人に枕を与えるのと同じことです。確かに、アニマルウェルフェアの向上は改善の一歩ではありますが、それはより良い方法で間違っていることをしているにすぎません。動物たちの一生がどんなに素晴らしいものであっても、屠殺される時には残酷になります。動物たちがより良く扱われ、彼らの命をもっと大切にされるなら、それはさらに不公平だと主張することもできるだろう。
福祉基準が高い畜産業でも、動物たちは奴隷にされたり、強制的に妊娠させられたり、子供を奪われたり、人生のほんの一部だけ生きただけで殺人工場(屠殺場)に送られます。良心的とは、親切や慈悲深い、または思いやりがあるという意味です。殺す必要がない場合、どうやったら良心的に奴隷にし、殺すことができるのでしょうか?
もし倫理観が本当に主観的なものであれば、善悪の判断はすべて受け入れられ、司法や刑務所は必要なくなるでしょう。そして、あらゆる犯罪は個人の主観に基づいて許されてしまうでしょう。動物は定められた道徳規範の下で生きているわけではないと言えますが、動物も倫理的に行動します。動物は悲しみや苦しみ、後悔、罪悪感などの感情を表しますが、これは倫理規範がなければ感じることのない感情です。
あなたを傷つける人がいたとしたら、すぐに虐待をやめてほしいと思いますか、それとも少しずつでも虐待をやめてほしいと思いますか?誰かが子供を殴る回数を減らしたり、週末だけにしたりしても、あなたは受け入れることができますか?不正行為がある場合、すぐにではなく徐々に終わらせることが健全な解決策だとあなたが考えるストーリーは他にどのようなものがありますか。あなた動物製品を買うことよって搾取されている動物にとって、虐待を減らすことは重要ではありません。
残念ながら、ベジタリアンの多くは、牛乳や卵、その他の動物性食品を消費することで、動物の搾取にお金を支払っています。卵業界では、オスは廃棄物とみなされ、生後 1 日で粉砕機にかけられます。メスは遺伝子操作されて 1 年に 300 個の卵を産むように改良され、絶え間ない痛みを感じています。乳製品業界では、赤ちゃんは生まれた後に母親から引き離され、強制的な妊娠と搾乳のサイクルに巻き込まれるか、オスとして生まれた場合はヴィール(仔牛肉)のためにすぐに殺されます。最終的に、動物たちはすべて屠殺場に送られます。
例えば、海で溺れているたくさんの子供たちを見たけれど、全員を救うことはできそうに無かったから誰も助けなかったという状況を想像してみてください。100%ヴィーガンになるのは不可能なので、挑戦しても意味がないという考えは、まったく現実的ではありません。あなたが変わったことで搾取されなかった動物たちがいたら、それは世界を大きく変えたということです。
生き残らなければならないようなサバイバル状況下であれば、他人を食べることさえ正当化されるかもしれませんが、あなたは今サバイバル状況下ではありません。健康的で健全な選択肢がたくさんある中で、なぜ罪のない動物を虐殺し、地球を破壊し、子供たちを飢えで死なせ続け、さらには自分の健康さえも損なうような選択肢を選ぶのでしょうか?
現在、他の国々で既に行われているのは、動物性食品の需要が減るにつれて、家畜産業が他の農業形態に移行することを政府が支援していることです。ヴィーガンへの移行は非常に緩やかであるため、家畜産業の人々が突然仕事を失う可能性はほとんどありません。しかし、動物に対する私たちの行為が不当であると認めるのであれば、仕事が無くなるという理由は家畜産業の継続を正当化する十分な理由にはなりません。何年も前に、人々は奴隷制度を廃止しないために同じ議論をしていました。奴隷制度を廃止すれば、奴隷所有者が失業するからです。
はい、実際に大豆栽培は熱帯雨林の破壊や野生生物の生息地の喪失などの環境問題を引き起こしています。しかし、世界の大豆収穫量の約80%は家畜の飼料として消費されており、大豆が環境にとってこれほど問題となっているのは畜産業が要因です。
ヴィーガンは食事の肉をアボカドやアーモンドに置き換えるわけではないので、肉を食べている人よりもそれらの食品を多く食べるというわけではありません。また、環境への影響は畜産業に比べると取るに足らないものです。畜産業では飼料用の作物を大量に栽培する必要があるにもかかわらず、動物から取れる肉やその他の食料はアーモンドやアボカドと比べるとはるかに少ないのです。
自分自身のことだけを考えると難しいですが、自分の行動によって生まれた犠牲者について考えると簡単です。あなたがヴィーガンでないことは、あなたが習慣を変えることよりも、動物が送っている生活の方がはるかに大変なことです。最も簡単な方法は、すでに食べているものを確認して、ヴィーガンではないものを植物性の製品に置き換えることです。
調査によると、ヴィーガンは食料品に費やす金額が平均 30% 少ないことがわかっています。植物性食品は高価であるという誤解は、肉代替品が肉製品よりも価格が高いことがあるからでしょう。しかし、大豆やレンズ豆などの豆や穀物は、スーパーで購入できる食品の中で世界的に最も安価な食材の 1 つです。
ヴィーガンが極端だという意見の基に考えると、人を殺すことと人を殺さないことのどちらがより極端でしょうか?女性を強制的に妊娠させて赤ちゃんを奪い、知覚力のある生き物を傷つける食品システムと、そうではないシステム、どちらが極端でしょうか?心臓病を誘発する食事を摂り、そして開胸手術を受け、一生薬を飲み続けなければならないことと、そもそも心臓病を予防する食事を摂ることのどちらが極端だと思いますか?
人間が本来草食動物であることを示唆する証拠は沢山あります。例えば、子供は動物を見てもお腹が空くことはありませんし、狩りをする本能もありません。生の肉を食べるとすぐに体調を崩し、調理したとしても体調を悪くすることがあり、動物性食品はゆっくりと動脈を詰まらせます。犬歯については、肉食動物に限ったことではありません。ゴリラやカバの犬歯は最も大きく、それらの動物は完全に草食です。
ヴィーガンという生き方は、現代において最も大きく、さらに急速に成長している正義運動の 1 つです。ヨーロッパでは、すでにすべての大手スーパーマーケットで植物由来の食品への大きな移行がされています。また、海外では既に肉の広告が禁止されたり、家畜産業への税金の引き上げなど様々な動きがあります。このシステムはいずれ終わりを迎えます。なぜなら、悪は永遠に続けることはできないからです。問題は、あなたが歴史のどちら側にいたいかということです。